最近、聖徳太子について調べていて、どうしても気になることがある。
それは、「聖徳太子は日本のメシアとして作られた人物像なのではないか」ということだ。
もちろん、歴史学ではそのような説は定説ではない。
しかし、気になる点がいくつもある。
まず、「厩戸皇子」という名前。
キリストは馬小屋で生まれたと伝えられ、聖徳太子も『日本書紀』では厩の戸で生まれたとされる。
しかも、この出生伝説が記録されるのは太子の死後約100年後である。
もし後世に伝説が整えられたのなら、その時代の思想が反映されても不思議ではない。
さらに太子は、生まれながらに特別な存在として描かれ、一度に十人の訴えを聞き、未来を知り、観音菩薩の化身とされ、日本仏教の守護者となる。
これは政治家というより、救世主や聖人の人物像に近い。
歴史の授業でも、やたら聖徳太子は特殊能力あるやんと思っていた
でも日本のキリスト教は戦国時代に普及してるから違うと思っていた
しかし、ここで気になるのが景教である。
635年、景教は唐に伝わり、長安で公認された。
当時の長安には仏教だけでなく、景教、マニ教、ゾロアスター教など、世界中の思想が集まっていた。
日本はまさにその唐から文明を学んでいた時代である。
もし7〜8世紀の日本の知識人が景教に触れていたとしたら?
大いにあるのではないか
私は、彼らが「次に世界へ広がる思想」として景教に注目した可能性を想像してしまう。
そして、日本を代表する聖人である聖徳太子の人物像を形作る際、その一部に西方の聖人伝説が混ざったとしても不思議ではないのではないか。
もちろん、これを裏付ける史料は現在のところ存在しないのであくまで一つの妄想である。
ただそのような仮説もあるらしい
仏教も日本化され、神道とも融合した。
もし景教的な思想や物語が日本へ届いていたとしても、それは「キリスト教」として残るのではなく、「聖徳太子」という日本独自の聖人像の中へ溶け込んでいったのかもしれない。
この仮説が正しいとは思わない。
ただ、「厩戸」という出生伝説、「救世主」のような太子像、そして景教が唐へ伝来した年代を並べてみると、偶然にしては興味深い一致があるようにも感じる。
歴史の魅力は、証拠のないところを断定することではなく、証拠のある事実を並べ、その間にどのような可能性があったのかを想像することにある。
そして、そもそも偉人に馬小屋で生まれたましたエピソードなんてほとんどないので、なんらか関係していそうと思ってしまうのである


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