東京の墨田のミュージアムに行ってきた。
ちょうど北斎と広重の富士の比較みたいな展覧会をしており
非常に良かった
構図が似てるところとか、題名も一緒のもあるんやなど新しい発見があった
そして全然似てないことがわかった
なんとなく、見比べていると、北斎のか広重のかはわかる
北斎の富士山は主役として堂々と描かれている感じがする
言うなればメインは富士山、小さく描かれていることもあるが、主役のような印象。
作品ごとで、富士山の顔がかなり違う
一方、広重の富士山はとてもシンプルで、景色の中に自然と溶け込んでいる。
富士山を入れた構図、構図そのものにこだわっている印象
富士山の顔がかなりシンプル、真っ白いか、少し線が入っているか
同じ富士山でも、北斎は「富士山そのもの」を描き、広重は「富士山が見える風景」を描いているように感じた。
ChatGPTに聞いてみた
ChatGPTによると、北斎と広重は同じ富士山を描いていても、作品の目的が大きく異なるという。
北斎は、富士山そのものを主役として描いた。『神奈川沖浪裏』では激しい波の奥に静かに富士山を置き、自然の力や永遠性を表現している。また、『凱風快晴(赤富士)』のように富士山だけを大きく描いた作品もあり、富士山を日本の象徴や精神性を表す存在として捉えていたと考えられる。
一方、広重は富士山そのものよりも、その土地の風景や季節、人々の暮らしを描くことを重視した。そのため富士山は小さく、シンプルな形で描かれることが多く、旅人が遠くに富士山を見つけるような自然な風景になっている。富士山は景色を引き立てる存在であり、空気感や季節感を表現する役割を果たしている。
つまり、北斎は「富士山を見る絵」を描き、広重は「富士山が見える風景」を描いたと言える。同じ題材でも、画家によってこれほど表現や考え方が異なることが興味深いと感じた。


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