きっかけは、同音異義語だった。
日本語では、「こうしょう」という音だけでも、交渉、高尚、校章、口承、工廠など、まったく違う意味の言葉がいくつもある。音だけを聞けば文脈がなければ分からない。しかし漢字で書かれた瞬間に、意味はほぼ一瞬で決まる。
もちろん英語にも同音異義語はある。right、write、pair、pearのような言葉だ。ただ、日本語ほど大量の意味が同じ音に集中していて、それを漢字によって日常的に区別している言語はかなり特殊なのではないかと思う。
ここから、漢字という文字そのものについて考えた。
漢字は単に音を記録する記号ではない。一文字一文字が意味を持っている。
例えば「再発防止策」という言葉を見ると、「再」「発」「防止」「策」という意味のまとまりが、短い文字列の中に詰め込まれている。
「遠隔診療」なら、遠く離れていることと診療すること。
「超高齢社会」なら、高齢化が通常の水準を超えた社会。
「再生医療」なら、再生と医療。
初めてその言葉を見たとしても、構成している漢字を知っていれば、おおよその意味を推測できる。
これは結構すごいことだと思う。
漢字は、単なる文字というより、意味を圧縮した小さなブロックのようなものなのかもしれない。
英語でも、anti-、re-、bio-、neuro-など、意味を持った部品を組み合わせて言葉を作ることはできる。ただ、漢字ではその意味の部品が、視覚的にもかなりはっきり表に出ている。
「無人店舗」
「人工知能」
「脱炭素」
「遠隔医療」
こういう言葉は、知らない言葉でも、部品を組み合わせることで概念そのものを想像できる。
そう考えると、漢字を使うことは、単に文章の読み書きだけではなく、考え方にも多少影響しているのではないかと思えてくる。
例えば、人は何かを考えるとき、頭の中にいくつかの概念を置いて、それらを比較したり、組み合わせたりする。
漢字では、それぞれの概念を短い視覚的なまとまりとして保持できる可能性がある。
「高齢者医療費負担増」という言葉なら、
高齢者
医療費
負担
増
という四つの意味の塊として、一度に目に入ってくる。
もし、こうした「意味の圧縮」が頭の中でも起きているのなら、漢字を使う人は、複雑な概念を視覚的な塊して扱う訓練を日常的にしていることになる。
さらに面白いのは、新しい概念を作るときだ。
漢字を組み合わせれば、既存の意味を使って新しい概念を作りやすい。
「遠隔」と「診療」。
「人工」と「知能」。
「再生」と「医療」。
既に知っている概念同士を組み合わせるだけで、新しいものを表現できる。
だから、漢字を使う人の方が創造性が高い、という話ではないと思う。
ただ、既に持っている意味の部品を組み合わせて、新しい概念を作ったり、未知の概念を推測したりすることについては、漢字には何か独特の強みがあるのかもしれない。
もちろん、これは今のところ自分の仮説にすぎない。
それでも、文字は単なる言葉の入れ物ではないのではないかと思う。
漢字は、意味を圧縮して保存し、それを一瞬で展開できる装置のようなものなのかもしれない。
もしそうなら、私たちは漢字を使って文章を書いているだけではなく、漢字という仕組みを使って、少し独特な方法で物事を考えているのかもしれない。


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