漢字文化圏と英語文化圏では思考パターンが全然違うことになるのだろうか?

最近は漢字の特異性を考えている

日本語はそれにひらがなとカタカナもあるからさらに特殊なのだが

あくまで漢字のみで一旦考えている

考えてみると、漢字文化圏と英語文化圏では、単に使っている文字が違うだけではないのかもしれない。

漢字では、文字そのものが意味を持っている。

「再生医療」「人工知能」「少子化」「遠隔診療」のように、複雑な概念であっても、意味を持った小さな部品の組み合わせとして見ることができる。

つまり漢字では、概念の構造そのものが文字の表面にかなり露出している。

一方、英語にも語根や接頭辞、接尾辞はあるが、アルファベット一文字一文字に意味があるわけではない。

概念は単語というまとまりとして覚え、その意味を文脈や定義の中で理解する割合が相対的に大きい。

この違いは、単なる表記上の違いではない可能性がある。

子どもは幼い頃から、何年にもわたって同じ文字体系を読み書きする。

その反復の中で、漢字を使う人は、意味を分解し、共通する文字を見つけ、それを別の概念に組み合わせるという処理を繰り返す。

一方でアルファベットを使う人は、文字と音の対応、単語の連なり、文法構造を細かく追う訓練を繰り返す。

もしそうであれば、

文字体系
↓
幼少期からの読み書き訓練
↓
脳ネットワークの発達
↓
概念を表象する方法
↓
思考プロセス

という連続した影響があっても不思議ではない。

漢字文化圏の人の方が創造的だとか、英語文化圏の人の方が論理的だという単純な話ではない。

漢字文化圏では概念を「意味の部品の組み合わせ」として見る傾向が強まり、英語文化圏では概念を「語と語の関係や定義の中で捉える」傾向が強まる可能性はある。

文字は、考えたことを書き留めるためだけの道具ではない。

もしかすると私たちは、文字を使って考えを表現しているだけではなく、長年使ってきた文字体系そのものによって、考え方の癖まで少しずつ形作られているのかもしれない。

そういうのを調べてる論文も散見されたが、結構気になっている領域である

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