天才ではない。
狂人なのだ。
もちろん、完全なる褒め言葉としての狂人である。
一心不乱、という意味に近い。
自分がこれまで見てきた「すごい人」たちは、みな、いい意味で狂っていた。
もちろん、表面上は普通の社会人であり、家庭人でもある。
家族がいて、家庭生活もしている。
けれど、その中心にあったものは、家庭生活ではなかったように思う。
ある人は、名誉を追っていた。
ある人は、研究に没頭していた。
ある人は、自分の手技を追っていた。
追っている獲物は違っても、構造は同じだった。
彼らにとって、家族と一緒に時間を過ごすことや、子どもを保育園に送ること、日々の小さな生活を味わうことは、人生の主要なアウトカムではなかったように見える。
むしろ、その異様な集中力があるからこそ、普通の人には届かない場所まで行けるのだろう。
自分も、その狂人の扉の近くまでは行った。
向こう側から吹いてくる風を、少しだけ感じることはできた。
でも、そこに皮肉がある。
扉を認識している時点で、自分は本物の狂人ではないから。
本物の狂人は、扉を開けたりしない。
最初から、その向こう側にいる。
迷うことも、比べることも、戻ることもない。
自分には、そこまでは無理だった。
エセ狂人として、その先へ進む道もあったのかもしれない。
何かを犠牲にして、名誉を追うふりをする。
研究にすべてを捧げるふりをする。
手技のために生活を削るふりをする。
でも、きっと心がもたなかった。
そう強く思っている。
そもそも、本物の人たちは、それを犠牲だと思っていないのだろう。
そこが、自分とは決定的に違う。
自分には、家族と過ごす時間が必要だった。
分岐点で、子どもと過ごす何でもない時間が、優先であり貴重と思った
いかに、自分は世俗的なのかと自覚する。
ただ、狂気に触れたことは、決して無駄ではなかった。
あの風を感じたからこそ、自分がそこに住む人間ではないこともわかった。
同時に、そこに住む人たちが見ている景色の一部も、少しだけ知ることができた。
そして、そういう人たちと一緒に仕事をしたことは、間違いなく自分の能力を引き上げてくれたと思う。
彼らの速度、集中力、執着、妥協のなさ。
その近くにいるだけで、自分の基準も少しずつ変わっていった。
自分は狂人にはなれなかった。
扉の向こう側に住む人間ではなかった。
けれど、その扉の近くまで行ったこと。
向こう側の風を感じたこと。
そして、その人たちと同じ場所で仕事をしたこと。
それは、自分にとって大きな財産だったのだと思う。


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