2023/8月現在は中国の不動産関連のニュースが巷を賑わしています。
個人投資家としては、日本の株価に波及しないことをを祈っています。
バブルの崩壊。実際日本では1989年に崩壊を経験しています。
その時に投資はしていませんでしたので、バブル崩壊の概念はわかるのですが、実際肌で感じれていません。
最近は、NISAなどの影響もあり、若手の個人投資家も増えている印象がありますが、おそらくバブルは聞いたことあるくらいでちゃんと調べている人ってそんなにいないのでは?
正直、不良債権という言葉しか、あんまり覚えていません。
自分が気になることを、Chat GPTに聞いてまとめました。
その前後の株価の推移も記載しています。
日本のバブル崩壊について時系列で
1. バブル経済の成長(1986年 – 1989年)
1986年
プラザ合意による円高政策の影響で、日本銀行が金利を引き下げ始める。
企業と個人の借り入れが容易になり、不動産と株式市場が急激に加熱。
1987年 – 1989年
株価と不動産価格が急騰。
企業と個人の投資が増加し、経済が急速に成長。
2. バブル崩壊の始まり(1990年 – 1991年)
1990年
日本銀行が金利を引き上げ始め、資金供給が減少。
株価がピークを迎え、その後急落。
1991年
不動産市場も冷え込み始め、価格が下落。
3. 金融危機と失われた10年(1992年 – 2000年)
1992年 – 1995年
金融機関の不良債権が増加。
企業の倒産が増え、失業率が上昇。
1996年 – 2000年
政府が経済対策を打ち出すも、効果は限定的。
経済成長が停滞し、失われた10年と呼ばれる時期に突入。
なぜバブルが起きたのか?
日本のバブル経済が起きた背景には、複数の要因が絡み合っています。以下に、主な要因を挙げます:
金融緩和政策:1980年代中盤、日本銀行はドル高・円安を是正するため、金利を引き下げる金融緩和政策を採用しました。これにより、資金が豊富に市場に供給され、企業や個人の借入が容易になりました。
円高による資産シフト:1985年のプラザ合意後、円が急速に高くなりました。これにより、輸出企業の収益が減少し、企業は土地や株式への投資を増やすようになりました。
土地を担保とした融資:日本の銀行は、土地を主要な担保として融資を行っていました。土地価格が上昇すると、担保価値も上昇し、さらに多くの融資が可能となりました。これが土地価格のさらなる上昇を助長しました。
期待の上昇:土地や株の価格が上昇し続ける中、投資家や一般の人々は、これが永続的なものであるとの期待を持つようになりました。この期待が、さらなる投資を促進しました。
規制の緩和:1980年代には、金融や不動産市場の規制が緩和されました。これにより、新たな金融商品の開発や不動産取引が活発化しました。
社会的な要因:バブル期には、土地や株の投資が成功の象徴とされ、多くの人々が投資に飛びつきました。これにより、バブルはさらに拡大しました。
バブル崩壊の原因は?
バブル崩壊の主な要因として、大蔵省の不動産融資総量規制や日銀の公定歩合引き上げなどが挙げられます。
「不動産融資総量規制」とは、金融機関が不動産投資に関する融資を行う際の上限を定める規制のことを指します。この規制は、過度な不動産投資によるバブル経済の形成を防ぐために導入されることが多いです。
「バブル」とは、資産価格が適正な価格を大きく上回る状態を指します。
不動産融資総量規制は、金融機関が不動産関連の融資を行う際のリスクを管理し、バブルの形成を防ぐための手段として導入されます。
このような規制がない場合、過度な融資が行われ、不動産価格が不合理に上昇する可能性があります。その結果、バブルが形成され、経済が不安定になるリスクが高まります。
日本は1980年代後半から1990年代初頭にかけてのバブル経済時代に、不動産融資総量規制のような厳格な規制が存在しなかったため、過度な不動産投資や土地スペックが行われました。
この結果、土地や不動産の価格が急激に上昇し、1990年代初頭にバブルが崩壊するという経済的な混乱が発生しました。
不動産融資総量規制ていうのがなかったんですね。このバブルの真っ最中に、これはいかん、ということで規制したんですね。
日銀の公定歩合引き上げとバブルの関係
日本銀行は経済の冷却を目的として、公定歩合を引き上げる政策を採用しました。
1989年5月: 公定歩合を2.5%から3.25%に引き上げ。
1989年8月: 公定歩合を3.25%から3.75%に引き上げ。
1990年3月: 公定歩合を3.75%から4.25%に引き上げ。
1990年7月: 公定歩合を4.25%から6.0%に大幅に引き上げ。
結構金利をゴリゴリ上げていますね。
これらの公定歩合の引き上げは、金利の上昇をもたらし、それによって企業や個人の借入コストが増加しました。特に、不動産や株への投資を行っていた企業や個人は、金利の上昇による融資コストの増加を直接的に感じることとなりました。
この結果、不動産や株への投資意欲が低下し、価格も下落し始めました。公定歩合の引き上げは、バブルの崩壊を加速させる要因の一つとなりました。
公定歩合の引き上げは、バブルの拡大を防ぐための政策として採用されましたが、その後の日本経済には長期にわたるデフレや経済停滞といった影響をもたらすこととなりました。
公定歩合の引き上げは、バブルの拡大を防ぐための政策としては必要だったのかもしれませんが、結果的には悪手であったということでしょうか?
そもそも公定歩合って何?
公定歩合は、中央銀行(日本では日本銀行)が金融機関に対して、短期の資金を貸し出す際の基準となる金利を指します。
公定歩合は、中央銀行の金融政策の主要な手段の一つであり、経済の状況や物価の動向に応じて調整されます。
金融政策の手段: 中央銀行は、公定歩合を上げることで経済の過熱を抑制し、下げることで経済の活性化を図ることができます。
市場金利への影響: 公定歩合は、市場の短期金利に大きな影響を与えます。公定歩合が上昇すると、市場の金利も上昇する傾向があります。
資金供給の調整: 中央銀行は、公定歩合を通じて金融市場に供給される資金の量を調整することができます。公定歩合を上げると、金融機関が中央銀行から資金を借りるコストが高くなるため、資金の供給が減少する可能性があります。
1980年から2010年までの日本の株価を列挙して
長いので1983までは割愛します。
1984年: 年初 9,893.82円、年高 11,577.40円、年安 9,703.35円、年末 11,542.60円
1985年: 年初 11,542.60円、年高 13,128.90円、年安 11,542.60円、年末 13,083.18円
1986年: 年初 13,083.18円、年高 18,936.19円、年安 12,881.50円、年末 18,820.64円
1987年: 年初 18,820.50円、年高 26,646.43円、年安 18,544.00円、年末 21,564.00円
1988年: 年初 21,217.04円、年高 30,159.00円、年安 21,217.04円、年末 30,159.00円
1989年: 年初 30,243.66円、年高 38,915.87円、年安 30,183.79円、年末 38,915.87円
1990年: 年初 38,712.88円、年高 38,712.88円、年安 20,221.86円、年末 23,848.71円
かなり急激な上昇ですね。1984年はまだ一万円切るくらいだったみたいです。
それも知らなかったです。
これをcode interpreterでグラフにしましょうか。
code interpreterはネットに通じていないので、普通にchatGPTにプラグインでネット検索してその後そのデータを貼り付けてCode interにお願いしたら簡単に図を作ってくれます。
便利ですね。
なぜバブル崩壊から時間が経ってから不良債権や証券会社の倒産がおきたのか?
最近ニュースか何かで耳にしたのですが、日本で証券会社の倒産が起きたのは結構時間が経ってからだったらしいです。
バブル崩壊した直後の出来事かなと思っていたのですが、7年くらい経ってから立て続けに倒産が起きています。
ChatGPT 出力:
資産価格の急激な上昇: 1980年代後半のバブル期には、土地や株の価格が急激に上昇しました。多くの企業や個人が、これらの資産を担保にして大量の借入を行いました。
バブル崩壊後の価格下落: 1990年代初頭にバブルが崩壊すると、土地や株の価格は急速に下落しました。
多くの借入者は、バブル期の高値で購入した資産を担保にしたままの大量の借入を抱えていました。
不良債権の隠蔽: 当初、多くの銀行は、資産価格が再び上昇することを期待して、不良債権の問題を公表せずに隠蔽し続けました。これにより、不良債権の実態が明らかになるまでに時間がかかりました。
経済の停滞: 1990年代は、日本経済が長期にわたって停滞した時期であり、これが「失われた10年」とも呼ばれています。この経済の停滞は、不良債権問題の解決をさらに困難にしました。
政策対応の遅れ: 日本政府や日本銀行は、不良債権問題や経済の停滞に対する対応が遅れました。これにより、経済の回復が遅れ、不良債権問題が深刻化しました。
証券会社の過度なリスク取り: バブル期には、証券会社も大量の資金を借り入れて、高リスクな投資を行っていました。バブル崩壊後、これらの投資が損失を生むようになり、多くの証券会社が経営危機に陥りました。
経済の停滞はバブルと関係ある?
はい、経済の停滞はバブルと関係があります。日本の「失われた10年」とも呼ばれる1990年代の経済停滞は、1980年代後半のバブル経済の崩壊とその後の不良債権問題に起因しています。以下に、バブルと経済停滞の関係を詳しく説明します:
資産価格の急激な下落:バブル崩壊後、土地や株の価格が急激に下落しました。これにより、多くの企業や個人が資産の価値減少による損失を被りました。
不良債権の増加:価格の下落に伴い、多くの銀行が融資先からの返済が困難になる不良債権を抱えるようになりました。これにより、銀行は新たな融資を控えるようになり、企業の資金調達が困難になりました。
消費の低迷:バブル崩壊とその後の経済の不安定さにより、消費者の消費意欲が低下しました。これにより、内需が低迷し、経済の停滞が進行しました。
企業の投資の減少:経済の不透明感や資金調達の困難さから、多くの企業が新たな投資を控えるようになりました。これも経済の停滞を加速させる要因となりました。
政策対応の遅れ:初期の段階で、政府や日本銀行はバブル崩壊の影響や不良債権問題の深刻さを十分に認識していなかったとされ、適切な対策が遅れました。
バブル崩壊後に経営破綻や困難に直面した主な企業や証券会社を時系列で列挙
1997年:
山一證券: 1997年11月に破綻。日本の証券業界での破綻としては最大規模でした。
北海道拓殖銀行 (たくぎん): 同年11月に破綻。
東京協和銀行: 同年12月に破綻。
1998年:
長銀 (日本長期信用銀行): 1998年10月に破綻。
日本債券信用銀行 (日債銀): 同年11月に破綻。
日本信販 (ニッシン): 同年に経営破綻。
1999年:
住友信託銀行: 1999年に経営破綻し、三井信託銀行と合併。
横浜銀行と東京銀行: 1999年に経営統合し、みずほ銀行として再出発。
2000年:
三和銀行と東海銀行: 2000年に経営統合し、UFJ銀行として再出発。
2001年:
大和銀行とあさひ銀行: 2001年に経営統合し、りそな銀行として再出発。
2002年:
千葉興業銀行: 2002年に経営破綻。
2003年:
関西興銀 (関西興業銀行): 2003年に経営破綻。
こうみると結構な数の銀行が破綻していますね。
1997年くらいから顕在化しているので、大きいところに余波が来るのは案外時間が経ってからかもしれません。
USAのその時の株価
日本のバブル崩壊が始まったのは1989年の終わり頃から1990年にかけてです。この期間におけるアメリカの株価指数、Dow Jones Industrial Average (DJIA) の推移を以下に示します:
1989年: 年初の価格は2,144.64ポイントで、年末には2,753.20ポイントに上昇し、年間で約26.96%の増加を記録しました。
1990年: 年初の価格は2,810.15ポイントで、年末には2,633.66ポイントに下落し、年間で約-4.34%の減少を記録しました。
このデータから、日本のバブル崩壊の初期段階でアメリカの株価も一時的に下落したことがわかります。しかし、1989年のアメリカの株価は非常に強いパフォーマンスを示していました
Dow Jones – DJIA – 100 Year Historical Chart
日本のバブルは関係なさそうですし、その後も好調のようですね。
まとめ
中国のバブル崩壊のニュースがあったので、再度日本でバブル崩壊時に何が起こってのかをまとめてみました。
中国の現状は日本に似てますね。
日本ではバブル崩壊後の証券会社や銀行への波及は7年くらいかかっていますので、中国もそれくらいのタイムラグがあるかもしれませんね。
追記ですが、2024/2月時点では中国は経済悪化とのニュースはあるものの、世界を震撼させるようなものでは現時点ではなさそうです。やはりタイムラグがあるのでしょうか
過去のデータからは日本のバブルはアメリカにはそんなに余波は与えてなさそうですが、経済の結びつきの強い日本と中国ならどうなるんでしょうかね。
バブルバブルというものの、実際何があって、どういう状況であったのか具体的に知らなかったので非常に勉強になりました。
以上参考になれば幸いです。
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