学術的な通説かどうかは一旦置いておいて、歴史エンターテインメントの仮説を作ってみた
歴史の授業で習う『吾妻鏡』
鎌倉時代の記録、普通はこう説明される。
「東国(あずま)の歴史を映す“鏡”のような記録」
通説(アカデミック): 北条氏が「自分たちの政治的正当性」をアピールするために、東国の歴史を雅なタイトルで権威付けした政治的な書物。
でも、なんで吾妻やねんって、まずずっと思ってた
坂東武者やったら東やろ
『吾妻』の語源として、教科書的にも最有力なのがヤマトタケル の東征神話らしい
東国遠征の帰り、海に身を投げて夫を救った妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)を思って、
「吾妻はや(あづまはや)」
と嘆いた。
意味は、「ああ、わが妻よ…」
この「あづま」が転じて妻を思い出した土地 = 東国
そこから 東国の呼び名=あずまになったとされる。
やっぱり漢字をじっと眺めていると、別の意味が浮かんでくる
吾(わが)
妻(つま)
鏡(かがみ)
――「吾の妻は、妻の鏡」。
「北条政子こそ、理想の妻やで」
という、北条家による壮大な“嫁自慢”タイトルだったら?
そう考えた瞬間、この無骨な年代記の洒落のセンスに脱帽する
最近漫画で読んだが、北条政子の実態を考えると、あり得なくもないと思ってしまった

そもそも疑問
坂東武者は、歌を詠むより武であるはず、なぜなら武士政権であるので
ヤマトタケル伝説に由来する「吾妻」なんていう公家風の雅な呼び名を、自分たちの歴史書のタイトルにわざわざ使うだろうか?
普通に考えたら、
『坂東記』
『東国軍記』
『鎌倉実録』
みたいなゴツい名前になりそうなものだ。
それなのに「吾妻鏡」、どう考えても、ちょっと上品じゃない?
まだ東鏡ならわかる・・・
しかし、もっと無骨な感じになりそう
そこで思い当たるのが、北条政子という存在。
頼朝を挙兵させ、
幕府崩壊寸前の御家人たちを演説一つでまとめ上げ、
将軍が死んだ後も実質トップとして政治を動かし、
もはや「妻」というより、最高司令官である。
頼朝本人はどうだったか?
血筋は抜群であるが、「政子と結婚したから将軍になれた男」
とも言える。
だとすると、『吾妻鏡』は頼朝の物語というより、実は「政子の物語」なのではないか。
タイトルがすでにそれを示唆している気さえしてくる。
さらに
京都の女性が御簾の奥で和歌を詠む存在だとすれば、
政子はまさに対極の存在
「西の女には、こんなんおらんやろ」
その圧倒的な存在感があれば、
「吾の妻=理想の鏡」という解釈も、案外しっくりくる。
むしろ誇らしかったのではないか。
さらに面白いのは、「鏡」という言葉だ。
当時すでに京都には『大鏡』『今鏡』といった「鏡物」があった。
いわば、貴族社会の歴史観を映す文学である。
それに対して鎌倉側が「吾妻鏡」と名乗る。
これは単なるタイトルではなく、
「お前らの鏡は貴族の優雅さやろ?俺たちの鏡は、強い女の生き様やで」
という、文化的なカウンターパンチであり、
西の女より東の女の方がいけとるんや、と言う熱い思いもかもしれない
「吾妻の記録」という無味乾燥な意味で読むより、
「吾の妻こそが、妻の鏡である」と読んだほうが、ずっと面白い
通説では全くないけど、背景をこめると洒落も含めて言葉遊びしてそう感もある

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